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常翔学園高等学校
3月28日(木)
今日は、1日観光&学習ツアーでした。
最初に彩虹眷村(rainbow village)で彩り豊かな装飾を見学し、壁に各自の願い事を書いて吊るしました。
また、台中駅舎の新旧も見学しました。
日本統治下時代の名残りがあり、歴史を感じました。
次は、宮原眼科(日本統治下は眼科、現在はアイス専門店)でアイスクリームを食べました!
タイミング良く並ばずに注文できましたが、我々以降は30分待ちと大きな行列になっていました。
昼食は、点心を中心とした中華料理でした!
とても美味しいのですが、台湾のおもてなし文化では、たくさんの料理を提供することが良いとされているため、毎回お腹いっぱいになります。
そのため、行きと帰りでは体重に差が生まれそうです(笑)
午後からは、五大財閥の一つ、林家の屋敷を見学し、その巨大さに驚愕するとともにここで物事が決まっていった、政治を行っていた場でもあったことに驚きを隠せませんでした。
次に訪れた場所は、台湾大地震の保存地区である921地震教育園区(学校跡)に行きました。
この大地震によって生まれた断層の隆起や、校舎が潰れてぺしゃんこになっている様子を見学しました。
1999年9月21日の深夜1時47分、マグニチュード7.3の大地震、揺れは102秒も続き、たくさんの人が熟睡したまま亡くなったそうです。
地震の翌日の統計によると
死亡者約2千3百人
負傷者約6千5百人
要救助者約1万2千人
台湾政府はすぐに救助をし始めたそうですが、台湾全体に被害があって、手に負えない状況だったそうです。
急いで救助活動し始めるも、大きな余震が多い中での救助は本当に大変だっようです。
たくさんの国から支援があったそうですが、その中で一番人数が多かったのは日本のチームだったそうです。
当時の日本チームは、阪神淡路大震災の経験により、素早く状況判断ができて、本当に大きな戦力になったそうです。
また、仮設住宅を千戸、台湾に寄付したそうです。
日本政府の救助だけではなく、日本の民間団体もたくさんの服や食べ物などの物質を寄付したそうです。
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時は流れ、
「2011.3.11 東日本大震災」
このとき台湾から送られた義援金は官民あわせ260億円以上におよび、これは世界最多の額でした。
台湾からの支援はこればかりでなく、救助チームの派遣、民間団体による炊き出しや現金配布、復興住宅や病院建設への支援など、挙げればきりがありません。
また震災後、被災地へ直行便をとばして最初の旅行客を送った国も台湾でした。
「台湾は、1999年の921大地震のとき、日本の各界から支援をいただいた。
921地震だけではなく、他の災害があったら、日本の救助隊はいつもすぐ駆けつけてくれた。
今度は私たちができる限りの援助をすべき」
として感謝の意をあらわしてくれています。
また、コロナ禍のなか、マスク不足に苦しむ日本へ、台湾から「日本加油」(日本がんばれ)とプリントされた200万枚のマスクが贈られ、その後さらに防護服5万着などが追加寄贈されていました。
かと思えば、日本政府からは、コロナワクチン確保が困難となっていた台湾へ、日本から124万回分のワクチンが無償提供されました。
このように日本と台湾の間には、互いを想い、気遣う、熱い「友情」と「絆」が結ばれていることを再認識させられました。
やはり、「世の中、助け合い」ですね。
「人が人を想う」
「想いをはせる」
「想い合う」
この気持ちに国交も国境も関係ありません。
こんなにも素晴らしい交流が、日台の間で行われ続けていることを誇らしく思います。
我々は、見聞を重ねて、見識を深めております。
何度も言えます!
生徒たちは、「常翔気流」に乗って確実にレベルアップしています!!
↑明日の英語でのプレゼンを前に、学校長に直接相談する生徒たち
生徒も教員も本気です!!