プロフィール 北尾元一

2017年8月 3日

宮城県女川町の復興

 8月1日、2日と大阪私立中学校高等学校連合会の第2・3地域部会夏期研修会で南東北を訪れ、2日目に2011年の東日本大震災で、壊滅的な被害を受けた女川町地区に行ってきました。20mを超える津波により、人口1万人のうち死亡認定者も含めた死亡者が827人で、人口に占める被害者の比率が被災市町村では最も高い8.2%(およそ12人に1人)もの方が亡くなられています。住居もほぼ70%が全壊、地区にあった水産業48社のうち残ったのは4社だけ、震災直後は陸の孤島となり物資の供給が5日間全くなかった、女川原発体育館に避難した人は火も一切使えないなどの被災の悲惨な状況、またその後の復興に向けた取り組みや考え方など、直接復興に関わっておられる女川町の方から話を聞くことができました。先週に行った熊本もそうですが、日本では大自然災害はどこでも起きることとして、その地域として想定できる災害が起きた時にいかに行動するかの重要性を改めて痛感してきました。

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 震災前の女川町

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 震災直後

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 2か月後

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 女川地区は現在復興計画が一番順調に進んでいる地域とのこと、これは平成27年12月にオープンしたシーパルピア女川、港に近いこの場所は、商業地域限定地域とし、観光客などの需要にも対応した町づくりを目指しています。

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 JR女川駅、1階が駅、2階が浴場、3階は展望フロアになっていて女川町復興のシンボルとされる。

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 山手側は宅地として造成が進んでいる。ほとんどの土地の地面のかさ上げは終わっているとのこと、ただ住宅としての復興は宮城県が80%に対し、女川町は50%で、まだ女川町に戻ってこられていない方も多くいるとのこと。現在の人口は6600人(戸籍上で、実際には5000人とも)で人口減少率は全国2位

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 小中一貫の学校の建設地の整備も進んでいました。

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 いのちの石碑、小学校卒業を目前に控えていた子供たちが考えた、津波到達地点よりも高いところに石碑を21か所建て、後世に残すというプロジェクト、女川中学の生徒たちの「千年先の命を守りたい」との想いが込められています。

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